Diary(思い出の記録) Vol.9
  <09・7月〜12月>

水の都サンクトペテルブルク&音楽の都・プラハ旅行

 長い空の旅を経、サンクトペテルブルクに到着したのは現地時間で夜の7時5分。夜といっても昼のように明るい。これがまさに「白夜」だ。パリで体験したのとは午後9時まで明るかったのだが、サンクトで見た白夜は一晩中明るい感じだった。
 ホテルの部屋の窓から見た午前0時(現地時刻)に沈んでいく白夜の夕日はとても美しく、隣の部屋ですっかり疲れていびきをかいて寝ていた父を起こして写真を撮ってもらった。忘れられない思い出となった。貴重なひとときであり、私の人生の中で最高の夜でもあった。
 初日はサンクトペテルブルクのホテルに一泊。とてもきれいな部屋だった。
 

二川先生からのクリスマスプレゼント

 一足早いクリスマスを前に、二川先生から籐網の流鏑馬(やぶさめ)型のオブジェをクリスマス
プレゼントとして頂いた。
 講演後に送られてきた生徒さんたちのアンケートがすばらしかった。

* チェコ国立フィルハーモニー管弦楽団コンサートin鹿児島(宝山ホール)<鹿児島市
 民文化センター>
  とてもすばらしいコンサートで、最高の感動のひとときだった。
  私の好きなスメタナの交響詩「モルダウ」とドボルザークの交響曲第9番「新世界より」を
 実際に生で聞くことができた。特に、モルダウは7月に長年の夢だったサンクトペテルブルクと
 プラハに行った時にカレル橋から見たのを懐かしく思い出される。
  また、「新世界より」は今まで聞いてきたクラシック曲の中で忘れることのできない演奏だった。
 ラフマニノフのピアノ協奏曲もよかった。

   

 私にとって2009年は長年の夢だったサンクトペテルブルクとプラハに家族三人で行くことが
できた年だった。
 国内では自然豊かな緑と水の新潟、宍道湖(島根)の夕日、美しい紅葉の栃木(日光)
−22年ぶりの来訪ーを見ることができた。その中でたくさんの方々と出会い、忘れることのでき
ない想い出をたくさん頂いた。多くのすばらしい方々との出会いから勇気をもらった。
 また、11月にはチェコフィルハーモニー管弦楽団の「新世界より」などの演奏を聞き、この上
ない感動を味わった。
 2010年はこれらを今後の活動に生かしていきたいと思う。

 中禅寺湖を後にした私たちは日本三大名瀑布のひとつ、華厳の滝へ。
 華厳の滝は中禅寺湖の流出口にある高さ97mの滝で、そのひとつに挙げられ
ている。岸壁を水しぶきをあげて一気に落水する豪快さと華麗な造形美の両方を
あわせ持ち、私たちの目を釘付けにしてくれる。テレビ画面だけではめったに見られ
ない華厳の滝を実際に見ることができたことは私自身も貴重な体験になった。小林
先生に感謝!(写真右)
 ちょうど日も傾いてきたので、ホテルへ送って頂いた。
 ホテルで初めて食べた湯葉料理がおいしかった。翌朝、ホテルの周りを散歩。

11月13日

プラハ城から見た町並み

11月1日

 岩元綾講演会in栃木・鹿沼(鹿沼市民情報センター 5階マルチメディアホー
ル)
 午前9時半、小林先生が運営されている障害者団体のパン屋さんなどを見学して市
内のレストランで昼食をすませたあと、講演会場へ。

  

* ホテルを出て、チェコの首都プラハに入る。
  この日はプラハの街を終日観光し、プラハ城やカレル橋などを回る。
  カレル橋の先にはスメタナ館。私の好きな「モルダウ」の作
曲家だ。残念
 ながら記念館の中に入ることはできなかったが、川はまさにモ
 ルダウ(語源:『ヴルタバ』)そのものだった。
  ロビーから部屋までケーブルカーで移動できる一風変わった
 ホテルに一泊。

 東武日光駅で列車を降りると、22年前のままお変わりのない小林先
生のお姿があった。
 小林先生のお車で紅葉の美しいいろは坂へ。
 平日にもかかわらず、午後から上ったためにあまり渋滞もなく、スムー
ズだった。
 22年前は12月ということもあり、紅葉もなくて少し寂しい風景だった。
今回は天気にも恵まれ、紅葉が陽に映えて感動的なものだった。南国
に住んでいる私にとってこのような景色を見ることができてとても幸せなひと
ときだった。
 小林先生もこのような美しい紅葉はめったに見られないとおっしゃってい
た。

  
                   

12月26日・27日

 第34回島根県心身障害児(者)親の会連合会大会・研修会〜記念講演会〜
(松江市総合福祉センター「大ホール」)主催:島根県心身障害児(者)親の会連
合会。
 担当の福間様との出会い。実際にお会いしてみると、とても気さくな方だった。曹洞宗
のお坊さんだということだった。

 

2009・7月10日

 両親の若い頃、近所に住んでおられた大窪先生ご夫妻が私たち
家族の講演会に来て下さってとても喜んで下さった。
 MAGIC CANDY DROP(魔法のドロップ)の読み聞かせと「千の風
になってーA Thousand Windsー」:(ニューヨークの9・11グラウン
ドゼロで朗読された)の詩に合わせて音楽担当の小林先生が即興で
ピアノを演奏して下さった。
 スピーチが終わった後、アンコールにお答えして全校生徒の皆さん
やPTAの皆様の前で披露。体育館に響き渡るピアノの音色と一緒に
コラボレーションをして、忘れられないスピーチとなった。

 開場の1時半になると、人が続々と集まってきてみるみるうちに満席になった。
 折りしも新型インフルエンザが蔓延(まんえん)し始めており、この講演会を予定してい
た保育のボランティアさんなどが次々と倒れてしまい、小林先生をはじめ保健師さん、
学校の諸先生方が保育に当たれることになり、講演が聞けないと残念がっておられた。
 鹿沼保健所は22年前(1998年)、私が講演活動らしいことを始めた出発点とも
言うべきところだ。ここでのスピーチは私にとって格別な思いがあった。当時の方達とは
違う新加入されたダウン症の親の方々との出会いは私に勇気と感動を与えてくれた。

 戦場ヶ原までは行かず、途中の展望台の駐車場に車を止めて日光のパノラマ
のような紅葉の山々を眺めることができた。
 そのあと中禅寺湖に行き、遊覧船に乗せて下さった。正面には男体山を望み、
ゆっくと周囲の景色を眺めながら遊覧船で滑るように回った。湖面に映る紅葉の
光影がとても美しかった。
 中禅寺湖はとても広くて波が立ちやすく、時には大きく揺れることがあり、なかに
は船酔いをする人も多いと地元の方々がおっしゃっていた。風が冷たかったが、気
持ちのいい観光ができた。
 

 * いよいよサンクトペテルブルクとプラハへ!夢が叶った瞬間だった。信じられないという
  よりもついに行くことになったのだなというのが実感だ。
   父方の伯母と母の友人の五人で行った。今回の旅行の行程は鹿児島空港(霧島
  市溝辺町)からチャーター便で行くもので、往復も安心だった。いろいろ書きたいことが
  たくさんあるが、詳細はサンクトペテルブルク・プラハ紀行で書いていこうと思う。

* 第54回九州民教研鹿児島(霧島)集会(霧島ロイヤルホテル)
  長きにわたって父が中心となってずっと関わってきた思い入れのある会だったので、今回
 は家族三人で参加することになった。
  開会を飾るセレモニーは二川明美先生の現在の勤務校・高山中学校の生徒さん
 たちとその卒業生によるよさこいソーラン。勇壮に踊られ、18年前の2002年にも同じ九
 民研の開会セレモニーで南中ソーランを披露してくれたが、今回はまた違う趣があった。
 あの時の想い出が甦ってきた。

 26日(土)
  25の分科会の一つ「特別なニーズを持つ子どもの教育」の分科会で私もレポーター
 として発表したが、皆さんの話もとてもいい勉強になった。

 27日(日)
  外国語分科会で私が大学で学んでいる英米文学のMother Goose(マザーグ
 ース):きらきら星とWilliam Wordsworth(ウィリアム・ワーズワース)の「水仙」、
 「千の風になってーA thousand Winds-」を発表したが、慣れなかったせいもあった
 のか思うようにいかなかった。これもいい経験になった。
  ホテルの2階ホールでエッセー集『21番目のやさしさに』のサイン会。父の知り合い
 の先生が手伝って下さり、多くの先生方が買って下さって嬉しかった。

 高山中学校(二川明美先生の現在の勤務校)でのスピーチ&交流。
  町立の学校とはいえ、まるでホテルのようなとてもおしゃれな学校だった。
  また、『マヤの一生』などの絵本作家の椋鳩十(本名:久保田彦穂)さんがこの学校
 の校歌を作詞・作曲されていたことに親近感を覚えた。

  

10月20日

* ダウン症児親の会「ドレミくらぶ」の岩浪様より新潟青陵大学での講演会後のアン
 ケートが届く。
  200名を超える感想の一枚一枚にはダウン症の我が子を持つ親御さん達のそれぞ
 れの込められた想いがぎっしりと書かれていて、なかには私と同世代の若者たちがダウン
 症や出生前診断、障害への理解を示している感想もあってとても嬉しく思った。
 

9月20日

* ソフトボール日本チームの宇津木妙子前監督から私たち家族とお会いしたいとの
 お電話を頂いた。
  突然のことで最初は驚いたが、家族三人で鹿児島空港(溝辺町)へ。そこで宇津
 木様ご家族と私たち家族の本のサインをしながらお話をすることができた。

8月29日

* 次の日、プラハの世界遺産の町チェスキー・クルムロフ周辺を観光。
  絵に描いたような、とてもきれいな町並みだった。
  夕食はプラハ市内のビアホール。
  そこで楽団の方たちが日本の歌曲を演奏してくれて盛り上がり、楽しい夜のひとときだっ
 た。その時の余韻を残して、次の日はサンクトペテルブルクへ。(詳細はサンクトペテルブ
 ルク・プラハ紀行で)

   

7月12日

* 鹿児島空港から大阪・伊丹空港経由で羽田空港へ。
  羽田から列車で栃木・日光へ。
  22年前の98年に家族三人で鹿沼に講演で訪れたことがあり、今回が二回目の訪
 問。
  小林先生と21年ぶりの再会。

    

 サンクトペテルブルクの白夜の夕日
(午前0時)

宍道湖の日没

小林先生とのツーショット

講演会実行委員会の皆様と

7月11日

7月25日

10月30日

 

中禅寺湖畔の駐車場にて
 (男体山をバックに)

いろは坂の紅葉

 講演が終わった後、宍道湖に沈む夕日をどうしても見たかったので駆け足
でタクシーに乗って駆けつけた。
 やっと間に合って、山の稜線に沈んでいく夕日もきれいだったが沈んだ後
のほうがもっと美しかったのでカメラでパチリ。(写真右)
 翌日は福間様が車で私たち家族をあちこち案内して下さった。
 松江城に登ったが、急な階段で少し怖かった。
 屋形船でお堀巡りをし、お堀から見る松江城はまた違った趣があった。
福間様に感謝!

12月8日

 立ち見が出るほどの会場は静かで、熱心に静かに聞いて下さり、時折涙を拭っておられる方々
がほとんど見られた。
 スピーチを終えて舞台を下りた時、花束を抱えて私のほうへ近づいてくる少年の姿が。突然のこ
とで何か言いたげな少年にこの時は声をかけられなかったが、22年前の講演会後に日光東照宮
などを案内して下さった川田様のご長男で当時はまだ赤ちゃんだった凌平くんであったことを後で知
った。
 まさか講演会場でお会いできるとは思わなかったので、ご立派に成長された凌平くんに驚きなが
らも久しぶりにお会いできてとても懐かしく、嬉しい気持ちになった。お母様が「あの時お会いできてこん
なに育てることができました」と言われ、母も感慨深げだった。
 夜の交流会もお父様方が初めて集まってこられ、兄弟たちも加わって大変にぎやかだった。 
 後日、講演会後に寄せられたたくさんのアンケートが届く。

* 聞くまっしシステム6周年記念行事in石川(金沢)の写真展に添えるメッセージや
 ポスター、『21番目のやさしさに』、絵本などを送る。
 

9月27日

* 母校・牧園高校の統廃合に伴う閉校記念誌の原稿、脱稿。
  ようやく原稿を書き終え、送ってほっとしていると写真もということで折り返し送る。

8月23日

* 父方の祖母の三年忌。(照明寺)溝辺の墓参りをして、ロイヤルホテルで私たち家
 族三人と伯父・伯母たちとの食事会。とても楽しいひとときだった。

8月5日

* 母校・牧園高校の統廃合に伴う閉校記念誌の原稿依頼、届く。

栃木・日光、紅葉の旅&島根 そして講演

 長年の夢だったサンクトペテルブルクとプラハ旅行きが実現!!今まで頑張ってきた自分への何
よりのプレゼントとなった。夢を持つことの大切さを今、改めて痛感している。

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